『あかねさす紫の花』は柴田侑宏先生という、宝塚に珠玉の作品の数々を遺した大御所脚本・演出家が手掛けた万葉ロマン歌劇です。初演は1976年というから今から47年前、半世紀・・・
2006年の舞台は主人公・大海人皇子を月組トップの瀬奈じゅんさんが、中大兄皇子を二番手霧矢大夢さんが演じていらっしゃいました。額田王は彩乃かなみさんでした。
あらすじ
仲の良い兄弟が美しい姉妹をそれぞれ娶り、仲睦まじく暮らし子どもも生まれたが、中大兄皇子が弟・大海人皇子の妻・額田王に横恋慕して奪ってしまうという、なかなかエグい展開です。しかも奪った中大兄皇子にも妻がいたわけですが、その妻は配下にくれてやる、という鬼畜っぷり。現代なら骨までしゃぶり尽くされそうな文春案件です。
中国ドラマ脳で見ると
奪うからにはそれなりに理由があったんでは?兄弟間に政治的な策略があったんでは?と中国ドラマ脳はウラを読まん!と邪推を巡らせてしまいますが、中大兄皇子が額田王に放った驚きのセリフは「お前に恋してしまったのだ(ドヤ顔)」ということで、特に策略はなしでした。既婚者なのにこの言い草、ほとんど色情狂ではないですか??それほどまでに額田王は美しかったのだ、純愛なのだ!と言いたいのでしょうか。
例えば、「恋してしまったのだ」としても、策略として「人質として額田王を大海人皇子から取り上げておけば、大海人皇子も謀反を起こすまい」(←人を従属させる手口 by『長歌行』)など、牽制する道具として奪うのだ、という隠された目的を設定していれば、決して色情狂などではない、冷血漢なのだというイメージでまとめられたのではないでしょうか。
柴田先生が追求する世界観
と、つらつら考えたけれど、やはり宝塚歌劇は夢を売っているのだから、「お前に恋してしまったのだ」は言葉通りそのまま受け取るべきなのでしょう。つまり、中大兄皇子の立場がどうこうではなくて、既婚者なのに告白されちゃった、と額田王サイドからの視点で、現実に起こっては好ましくないが、非常に魅惑される状況を、観客は額田王を通して追体験したいのではないでしょうか。柴田侑宏先生が書く作品はそのようなツボを押さえ観客に夢を見させ、グッと心をつかむ力があり、であればこそ宝塚歌劇で長く愛されているのだ、と私めは気づきました。策略を設定してはどうか?などという浅はかな思いつきなど無粋だったのです。
額田王の和歌が載っている書写本
あかねさすむらさきのゆきしめのゆき のもりはみずやきみがそでふる
劇中にも登場する和歌ですが、国宝『元暦校本万葉集 巻第一(古河本)』に載っています。東京国立博物館所蔵で、3年に一度くらい公開されるそうです。