お友達のお勧めで見始めました。
舞台となった時代
隋が興る前、ということで、書道史で言うなら書聖「王羲之」が大活躍した南北朝時代、だそうです。
ドラマの中でも王羲之の遠い親戚のおじさん「王導」や楷書のパイオニア「鍾繇」の名前が登場します。ボルテージ上がります。
↑細かいこと言うとこの時代にこの書体は生まれていない、と思う
鍾繇を臨書したときの記事です↓
第一印象
主人公である皇太子がいつも目に一杯涙をためている印象です。
すぐ涙目になってしまうので気が弱いやられっぱなしな皇太子かと思いきや、意外と狡猾な手で反撃に出たりする(で、皇帝の逆鱗に触れたりする)強かな一面もあってちょっと先が読めません。
なんとなく根暗で湿ったイメージで、溌剌とした兄の斉王を皇帝が寵愛するのも分かる感じがします。それを横目に見てまた鬱屈とした思いを蓄積する…皇太子と自分の思春期を重ねて見て胸にチクリと来てしまう人(特に長子)は少なからずいるのではないでしょうか。
羅晋(ルオ・ジン)さん
そんな皇太子を演じるルオ・ジンさんですが、表情は乏しく掴みも弱く、人としての弱さ、脆さ、女々しさが等身大でリアルすぎて最初主人公の魅力が私全く分かりませんでした。
表情が乏しいのは周りの人間に自分の本心を悟られないために長年培った防御策であろうわけですが、これが後々激高した場面で、無表情からの高低差がより感じられ、とても効いていると思いました。同じ効果で演技がコミカルに振れたときには「そんなお茶目な一面があるなんて・・・」というギャップで萌え堕としにくるという(←単純)。かと思えば「好きな子をいじめることでしか愛情を表現できない男子」的な演技があまりにナチュラルで、素なんじゃないの?と疑いの眼差しで見てしまいました。
中盤まで見た今のところは、なかなか女子からの好感度を得難いキャラクターかと思われますが、ルオ・ジンさんの演技の振れ幅の大きさは類まれ、と申し上げたい。
恐るべしルオ・ジンさん。
シェイクスピア悲劇を思わせる救われようのなさ
繊細でガラスのように脆くデリケートで愛に飢え、だいぶ屈折している複雑な青年が、恩師を失い自暴自棄になったり人知れず体育座りして泣いていたりちょっと狂気じみた振る舞いがシェイクスピアの演劇を見ているようです。
以下は『ハムレット』のセリフの一部ですが、まさに皇太子の心情そのものではないでしょうか。
生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ。
どちらが雄々しい態度だろう、
やみくもな運命の矢弾を心の内でひたすら堪え忍ぶか、
艱難の海に刃をむけそれにとどめを刺すか。
ーー松岡和子訳
脚本家は多少インスパイアされたのか、それともこういう苦悩は題材として洋の東西を問わないのか・・・後半も楽しみです。