『六扇門』見終わりました

生き残った人を数える方が早いという、サバイバルなドラマでした。

組織の名前は雅だけど・・・

捜査機関・六扇門のメンバーが朝廷の様々な勢力に振り回されながらも事件を捜査する、という目線で途中まで必死についていきましたが、結局真犯人なんて上の裁量でどうにでもでっち上げできるし、存在意義が宙に浮いてしまった印象です。

六扇門というネーミングはちょっと雅で興味を惹かれましたが、ドラマの看板担うほどの存在感があったか?というとビミョーでした。

ルオ・ジンさんの再登場は・・・

もしかして成人した第一皇子がルオ・ジンさんでは・・・なんて淡い期待を抱いて30数話まで粘ってみたものの、色々な意味で裏切られました。オープニングで毎回ルオ・ジンさんを登場させるのは誇大広告じゃん?と思いました。

ところでこの第一皇子、よくよく生い立ち振り返ってみると、「側室の子を亡き者にする皇后から宦官が救い出して育てた子」というエピソードにドンピシャで、私が先日「ドラマにしてほしい」と熱望した第10代弘治帝なのでしょうか。重病(仮)という設定が全く説得力なかった、見るからに壮健なあの皇帝は成化帝なんでしょうか?

クライマックス

終盤まで皇位争いをめぐって、どちらに転がってもおかしくなく拮抗してたゆえに雌雄を決したその瞬間、「負ければ賊軍」になって「ノーサイド」とか言ってられない皇位争いの厳しさをここでも垣間見た気がします。

それまでものすごく慎重に丁寧に駆け引きしていた斉王が、追い詰められたら行き当たりばったりで、将軍脅迫するし、兵符強奪するし、女子供容赦せずだし・・・見た目温和でクレバーなナイスミドルだったのに鬼畜すぎて、「もちょっと賢く立ち回れる人じゃなかったの?」とキャラクターのブレと見るべきか、あるいはクズ本性が現れたと見るべきか、力ずくな展開にちょっと引きました。

ヒロインの蘇溢清にしても、斉王の凶悪さを目の当たりにしてもなお信じようとする姿はもはや重篤な洗脳状態・・・「いい加減目覚めなさい」(by『女王の教室』)と私の脳裏で天海祐希さんがディリラバさんを説教しています。

中華エンタメの世界観

でも引くほど「荒唐無稽」というか「無理くり感」、それから雑多な騒々しさ、といったものは、昔見た周星馳の映画『少林サッカー』とか『カンフー』とか、最近見た『唐人街探偵』などと通じるものがあって、私がもともと抱いていた中華エンタメの世界観そのものでした。諸々ひっくるめて中華ドラマの味わい(←ディスってる?)と考えるとこういう「荒唐無稽さ」もアリではないだろうか。

何にしても取っ掛かりのなかった「明の時代」なので、今後は「六扇門来るか?」なんて角度からも見られそう。明に大いに親近感が湧いた作品でした。

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