最終エピソードは江戸川乱歩の「怪人二十面相」を彷彿とさせました。
塔が出てくるとか、変装するとか、飛ぶとか、幻術とか、浮浪児少年とか、もうワードだけ並べてみると「怪人二十面相」そのもので心躍ります。
幼少期を思い出します・・・
子どものころ手に取るのも怖かった「怪人二十面相シリーズ」や映画「K-20」、ドラマ「名探偵明智小五郎」は、奇奇怪怪、猟奇的な犯行や魔術のようなトリックもさることながら、貧富の差が歴然とある独特な世界観で、我知らず引き込まれました。
・・・というのを『唐朝詭事録』を見て思い出しました。
また、エピソードごとのテーマがとてもキャッチーというか人の好奇心をくすぐるというか…長安紅茶とか鰐神教とか人面花とか、独特なネーミングも江戸川乱歩み感じます。
動機は意外と・・・
事件の裏事情に、庶民の生活の困難さとか、人生の理不尽さとか垣間見えて、事件の動機は社会にあるの?と思わせながら、最終的には犯人の私怨に集約されて、「えっそれが理由?」みたいなパターンが少なくないような・・・
弟子と師匠の関係
ラストで、蘇無名が盧凌風を師匠狄仁傑の弟子にする、と宣言する場面がグッときました。
その一方で薛環は盧凌風から弟子を解かれて新たな道へ預けられたわけで、対照的だなぁーと思いました。
自分の書道に置き換えてみても、ずっとこの先生についていきたい!という気持ちに反して望まぬ別離があったり、不思議な縁で結ばれたり、永遠に関係性が変わらないってことはない。
先生どうしていらっしゃるかなあと『唐朝詭事録』のラスト見て思い出して感傷的になってしまいました。今年は大きい字を書いて先生のスピリッツを継承したい!