王羲之の十七帖、全紙臨書しました

王羲之の十七帖を臨書しました。

集字聖教序や蘭亭序、楽毅論に並ぶ、王羲之の代表作です。

 

王羲之晩年の書ということで、書いたのは57,8歳くらいでしょうか。友人への手紙ということですが内容がどのようなものなのか、非常に気になるところです。子供の就職、結婚か?奥さんへの不満か?はたまた健康についてとか…。ぐぐってもなかなかわかりません。こんな本が出版されているようです↓

books.google.co.jp

地元の図書館にはなかった…

ちなみに宛先人の周撫という人は王羲之より11歳年上とのことで、どういう間柄なんでしょうか。

調べてみると、周撫が参戦した王敦の乱というのがあるらしいのだが、その首謀者王敦のいとこの甥が王羲之、ということだそうです。つながりの端緒が見えたけど、そもそも王敦と王羲之の「いとこの甥」って関係も、結婚式とかお葬式で会っても面識ないレベルでは・・・

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ところが、Wikipediaによると、

王羲之魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の家に生まれ、東晋建国の元勲であった同族の王導や王敦らから一族期待の若者として将来を嘱望されていた

とあるので、王羲之はそんな遠ーーーい関係にもかかわらず目をかけられるほどで、裏を返せば王羲之がいかに超優秀であったのかがうかがえます。

一方、王敦と周撫の関係ですが、

諸葛瑶・鄧嶽・李恒・謝雍とともに王敦の爪牙とされた(Wikipediaより)

ということで、周撫は王敦の手先となっていろいろ働くかわいい部下だったのでしょう。

ですからおそらく現代に置き換えて想像してみると、

王敦(ワイングラスを揺らしながら)「紹介するよ周撫、こちらうちの一族期待の星の王羲之。こいつは開成首席で東大じゃ物足りないからマサチューセッツ工科大学飛び級で進学するの。で、こちらは周撫。こないだうちの社長失脚させるのにいろいろ暗躍してくれたんだよ。年の差はあるけど二人とも頭脳明晰だから気が合うんじゃないかなぁ」

周撫「これはこれは初めまして。噂は王敦閣下から聞いてます。マサチューセッツですか~、将来はITかな?それとも宇宙関係かな」

王羲之「こちらこそおじさんから社長失脚の武勇伝伺ってます。入れ知恵したのは周撫さんなんですよね。身の毛がよだちました」

うーーん何か書聖の王羲之がブラックなイメージに・・・かくしてエリート同士の高尚な文通につながってゆくのですね、わかります。ちょっとBLっぽい香りもしないでもないですが、そんな背景を想像しながら臨書してみましょう。

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ああーなんて書いてあるのか、内容が知りたい

 

 

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