史劇が続いたので久しぶりの現代劇でした。
今まで見てきたシャオジャンさんは比較的熱量多めな役の印象が強かったので、今回テンション低めに低音ボイスで抑揚なくセリフをささやいているのが新鮮で、「ジュテ~~ム」的なフランス映画を見ているような気がしました(←個人の先入観です)
一番心に刺さったところ
ヒロイン父と娘の親子愛が、メインのラブ以上に心に刺さってしまいました。お互い深く思っているのに素直になれない父と娘の感情の行き違い、ツンツンしたセリフの一語一語、目をそらしたままの娘の表情、とすべてがすごくリアルで演技に見えなくて、今思い出しても胸が締め付けられて泣きそうです。ヤンズーさん、只者ではないに違いない。そして畳みかけるようにダメ押しの手紙が来てもう滂沱の涙・・・。
安心と信頼のシャオジャンさん
大事な場面で指立てて誓いを立てるシャオジャンさん、誠実味溢れる真摯な目元・口元が「彼なら任せて大丈夫だ」って120%で思わせてくれそうです。ヒロイン父も結婚式では心から安堵して娘を送り出したことでしょう。現世でこれ以上に誓いが真摯な人ってそうそういないんじゃないでしょうか。演技じゃなくて本当にそう思って演じていそう。
永遠の愛はありやなしや
先日書いたのは、
「忘れじの行く末までは難ければ今日をかぎりの命ともがな」(54番・儀同三司母)。
【現代語訳】いつまでもずっとあなたのことを想っていると言うけれど、人の想いは変わっていくものです。今の幸せが永遠に続くわけないのですから。こんなにも幸せな今日の間に、命が尽きてしまえばいいのに。
幸せの絶頂にありながら究極のネガティブ思考で「命尽きてしまえばいい」という歌です。なんて激しいメンタリティーでしょうか。
いやいや、それほど今私幸せなのってことの逆説なのでしょう。
もしこの方に愛の誓いを立てていたのがシャオジャンだったら、200%の安心感・信頼感で愛を確信し、こんな歌は生まれたかどうだかなー、なんてアホなことを墨を擦りながら考えてしまいました。